2014年04月13日 21:14
インフレ恐怖症がデフレ脱却を不可能にする
十数年間もデフレが続いている。これは世界的にも例が無い。デフレは需要不足から引き起こされる。物はあるが、需要が足りないから物が余る。買いたいと思えるほどの物が不足しているから需要が足りないのだという恵まれた人もいる。しかし、デフレになってから生活苦で自殺する人が年間数千人も増えた。お金が無いから結婚して子どもを育てるのは無理だと思っている人が増えていて、少子化は進む。年金をどれだけもらえるか分からないからとして、将来を不安に思う人も多い。世の中恵まれた人ばかりではないこと、つまりもっとお金が欲しい人がたくさんいることは明かだ。
それなら財政支出を拡大し、国民にデフレ脱却に十分なお金を渡してはどうかと思うのだが、そうするとハイパーインフレになって国家が破産すると思っているようで猛烈な反対に出会う。終戦直後のインフレがトラウマになっているようだ。戦争で焼け野原になった終戦直後は物不足で悲惨だったことは間違いない。そのとき、激しいインフレのお陰で生活はどんどん苦しくなっていったのだろうか。当時の生活の変化の様子は最近のNHKの朝ドラで描かれている。梅ちゃん先生、カーネーション、ごちそうさまがその例であり、インフレが続く中、どんどん生活が改善していった様子が分かる。
終戦直後の激しいインフレの中でも、生活がどんどん改善していったことは、様々な商品の生産指数を見れば明らかだ。米も砂糖も紙も電気もガスも年間の生産高はどんどん伸びている。鉱工業生産指数も農水産業生産指数もどんどん上昇を続けた。いくらインフレでも物が多く生産されれば、当然1人当たりに分配される物の量は増える。通貨はその分配手段にすぎないのだから、インフレ率がどうあろうと、物が多ければ多く分配されるのは当然だ。ただし、デフレ時にはお金が国民に十分配布されていないときだから、物があっても国民にうまく分配されないということ。
終戦直後は物不足で闇市で人は米を買った。闇米の価格はどんどん上がったが、そのときの給与も同じく上がっていった。1948年頃になると闇米価格は上がらなくなったが給与は上昇が続いた。つまり人はより多くの米を手に入れることができるようになった。当然のことながら、これは農林水産業の生産指数が増加し、多くの食料を分配できるようになったことが背景にある。
3月22日と23日には、「READERS」という5時間ドラマをTBSが流した。「日本人のための車を、日本人の手によってゼロから作り上げる。」としてトヨタ自動車工業の設立から発展までの物語を描写している。最大の見せ場は倒産寸前にまで陥ったとき、社長の見事な采配のお陰で会社再建を果たしたところだ。苦境に陥ったのは戦後のインフレでなく、インフレを止めようとして大不況を招いた1950年のドッジ・ラインだった。バタバタ企業が倒れるのはインフレ時ではなく、デフレ時だ。カネの流れを止めれば、インフレは直ぐ止まるが、それが急激すぎれば、経済に大打撃を与える。
1949年 GHQの経済顧問ジョセフ・ドッジが来日し、金融引き締めでインフレを止めるよう要求した。彼はデトロイト銀行頭取で、「竹馬の足を切る」と宣言した、つまり
①米国の援助を止め、②国内の補助金の機構も止めさせた。新古典派的な経済政策で緊縮財政の強制、復興金融公庫による融資の廃止、日銀借り入れ金などの債務返済、1ドル=360円の設定、戦時統制の緩和と自由競争の促進を強行した。この結果デフレが進行、
企業倒産、失業者が激増し、大不況を導いた。幸運にも1950年6月25日の朝鮮戦争で日本経済は完全に復活することになり、トヨタも破綻を免れた。
デフレが国民を苦しめた例は数多くある。松方デフレ、昭和恐慌、ドッジ・ライン、平成不況がその例だ。物は十分あるのに、お金が国民に十分届いていないために折角の物が国民に配れないのがデフレだ。通常デフレは短期間で終わっている。世界的に見てもそうだ。しかし、平成デフレだけは十数年も続いている。その理由はデフレとインフレの意味を多くの人が誤解していることによる。過去のデフレ・インフレの例を正確に理解できれば、デフレなどすぐに脱却できる。適切な財政拡大策で一気に経済は復活する。